有馬温泉の歴史
有馬温泉の歴史は古く、昔から皇族・貴族・文化人らに愛されてきた。有馬温泉は日本最古泉とも言われる。631年に舒明天皇が約3ヶ月滞在したことが日本書紀に見られる。奈良時代には僧行基が有馬の地に温泉寺を建立。清少納言は枕草子で有馬温泉に言及している。1192年に僧仁西が戦乱で荒廃した有馬温泉を復興して湯治場としての原型を作った。豊臣秀吉は有馬を愛し何度も訪れ、更に温泉や周辺の改修を行い、今でも太閤○○と言う地名が残っている。江戸時代に作成された温泉番付の中で有馬温泉は西大関(当時最高位)にランクされていた。また、姫路と京都を結ぶ街道の経由地としても栄えた。谷崎潤一郎も有馬を愛し長期滞在して執筆を行うと同時に、作品中にも有馬温泉を度々登場させている。1950年から毎年秋に「有馬大茶会」が開催されている。1968年11月2日、温泉街の旅館池之坊満月城で火災。死者30人。
有馬温泉は色々な著名人に愛され、短歌や有馬に関する書籍も出版されている。「有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする」 大弐三位(紫式部と藤原宣孝の娘)、後拾遺集恋三。「猪名の笹原」は兵庫県伊丹市にある昆陽池あたり。「しなが鳥猪名野を来れば有馬山夕霧立ちぬ宿(やどり)は無くて」読み人知らず(万葉集巻七)。「花吹雪兵衛の坊も御所坊も目におかずして空に渦巻く」与謝野晶子・晶子鑑賞・平野萬里。底本:「晶子鑑賞」三省堂(1949=昭和24=年7月25日初版発行、1979=昭和54=年1月25日復刊第1刷発行) 有馬での作。何々坊といふのは有馬の湯の宿特有の名で、元々が宿坊であることの名残。その広大な構へと相俟つてこの温泉の古い歴史と伝統とを誇示してゐる。有馬には桜が多くその散り方の壮観が思はれるが、それが坊名をあしらふことによつて有馬情調そのまゝに表現されてゐる。とは、平野萬里の評。